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カードキャプターさくら第63話に見るアニメ的表現
前回に引き続き、カードキャプターさくらについての記事。今回取り上げるのは第63話『さくらとプールと大きな波』です。
以下あらすじ。
第63話 「さくらとプールと大きな波」
室内プールにやってきたさくらたち。ひと泳ぎした後、プールサイドのパーラーで、おいしいと評判のクリームソーダを注文した。話に夢中になっていたさくらが、ふとグラスを見ると中身はからっぽ。こっそりついてきたケロが飲んでしまったのだ。ものかげに隠れていたケロをロッカールームに連れて行こうとしたとき、びっくりするほど大きな波がプールに起こり、利佳が取り残されてしまった。
第63話はプールが舞台ということで、さくらたちの貴重な水着姿を見ることができる。
ここで気になるのが手足の描写。特に画像二枚目、さくらの手足の曲線が強調されて描かれており、今までの作画よりもやや写実的になっている。カードキャプターさくらに限らずCLAMP作品では、そもそも手足の直線的な描写が特徴的な作風のひとつなので、今回のように曲線が強調されて描かれることはほとんどない。
第1話、スタッフの気合が感じられる書庫の作画の時でもこの大根足。
第49話、さくらカード編に突入し小学5年生の2学期になってもこの足。成長とか云々ではない。
そこで第63話の絵コンテを見てみると、このカードキャプターさくらシリーズを通して、この回のみ松尾衡が担当していることがわかる。この松尾衡という人物がこの作画に一枚噛んでるのではないかと思い調べてみたところ、ローゼンメイデンの監督をしていたことがわかる。ローゼンメイデンといえば、初期アニメ版と新アニメ版でめちゃめちゃ作画が変化し、おまえ!!ふざけるなよ!と私が怒りに震えた話はあまりにも有名。
松尾衡はあくまでも初期アニメ版のみに携わっていたようなので、特に言いたいことはなし。
ローゼンメイデンは初期アニメ版が好きですが、個人的には、鬼頭莫宏の描く華奢で写実的表現とアニメ的(漫画的)表現のギリギリをいく女の子のからだが一番好き。それについてはこの記事が面白いです。
また、第63話の水の表現はかなり面白い。
こんな感じで水面の反射の映りこみや水面下の描写は一切なし、かなり潔い。これはデッサンの話だが、水を水として描くためには、映りこみや水面下の描写を根気強くやっていくことが必要で、でもそれさえ書いてしまえば水らしく見えるので、こっちとしては映りこみがあるやったー!ぐらいのもので描いていて、逆に映りこみがないとどうやって水に見せるかが非常に難しい。だから、映りこみを描かないというのはまさにアニメならではの表現。なぜ、その表現が成立するのかというと、アニメには実際には存在しない輪郭線があるからで、水との接触面では輪郭線がなくなっているのがわかる。映りこみは描写しないが、水との接触面は色面だけで描くことで、これが水として表現できているわけである。これらのアニメ的表現は、カードキャプターさくらではどのように水を捉えているかがわかる重要な描写。
ガラスと水の描きわけなど。
またこの知世ちゃんがさくらの水着姿を思う存分撮影している場面。
放送当時はまだ、盗撮とか騒がれなかったんでしょうか?時代を感じる。
さらに、第63回では津波の表現がある。
今ではこんな表現は避けると思うので、3.11以前のアニメという感じがひしひしとします。この場面が3.11以降からの視点で語られる必要もないと思うが。
カードキャプターさくら第57話 『さくらと小狼とエレベーター』
李小狼がようやく木之本桜への恋心を自覚する回。漫然と見てしまうと、カードキャプターさくらもとうとうただのクソつまらない少女漫画になっていってしまうのだろうかという感想に落ち着いてしまいそうな構成だが、見逃すことのできないいくつかの描写のおかげで、カードキャプターさくらシリーズの中でも素晴らしい回になっていると思う。
以下カードキャプターさくら第57話のあらすじ。
第57話 「さくらと小狼とエレベーター」
さくら、小狼、知世、エリオルの4人はテディベア展へやってきた。小狼は楽しい時間を過ごしながら、ついさくらのことばかり目で追ってしまう。家に帰ろうとエレベーターに向かい、小狼とさくらが乗ったとたん、扉が閉まり動かなくなってしまった。真っ暗なエレベーターで涙ぐむさくらを小狼はなぐさめる。そうするうち、エレベーターが急に動いて床に穴があき、さくらが落ちてしまった!
まず特筆すべきは、明日のテディベア展での待ち合わせ時間を、さくらからの留守番電話で知る小狼の場面。苺鈴と偉が台湾へ帰ってしまってから、再び一人で暮らしている(12月14日追記 原作では一人暮らしをしているが、アニメでは偉と暮らしていました)小狼の部屋が描かれるのはこの第57話が初めて。第57話では小狼の部屋は二回描かれているが、一回目では、特に何も起こらず、さくらのいる明るい学校生活とはあまりにも対照的な、ドン引きするほど暗いだけの部屋の描写が淡々と続いたかとおもうと、突然明るい学生生活に引き戻されるので、その落差に観客は置いてけぼりを食らったように感じるだろう。完全に二回目への布石として描かれてる感ありまくり、本来の客層(女児)には理解されなくてもよいという姿勢ががんがん伝わる映画的手法。(だからといって、カードキャプターさくらシリーズが本来の客層を無視しているわけでは全くないのは、本編を見ていただければ十分にわかる)
さくらからの留守番電話に気付くのは小狼の部屋が描かれる二回目の場面。さくらからの留守番電話2件をひとしきり聞き終えた小狼は、おもむろにベッドに寝っ転がりもう一度留守番電話を再生しだすのである。
この場面は、新世紀エヴァンゲリオン第九話『瞬間、心、重ねて』で、アスカが突然シンジの寝室へ上がりシンジの隣ですやすやと眠りにつき始めるが、アスカのはだけた胸元にシンジは戸惑いを隠せず、S-DATのプレーヤーを巻き戻し続ける名場面を彷彿とさせる素晴らしい場面だと思う。また、説明的すぎるほど暗さや孤独を描いた小狼の部屋で、さくらの声だけが色彩を持って浮かび上がる構図も見事。
ちなみに、この記事を書きながらシンジがプレーヤーを巻き戻すのは一体何話だったかしら、と検索した時のキーワードは「アスカ おっぱい 何話」。また、その際にトップに表示され、参考にしたYahoo知恵袋はこちら(参考にしていません)
さらに、もう一つある場面を取り上げたい。小狼が選んだくまのクッキー型で雪兎が作ったクッキーをプレゼントされたさくらだったが、ケロちゃんがそのほとんどを食べてしまったため、1枚しか残らなかったクッキーをさくらと小狼が分け合って食べる場面。
この時点ではさくらは小狼の気持ちに気付いていないので、雪兎が作ってくれたクッキーを小狼に全てあげようとする。しかし小狼はそれを拒否したため、さくらはクッキーを二つに割って小狼に片方をあげようとするのだ。
くまのクッキーは二つに分割することができるが、雪兎やさくらは分け合うことができないというメタファーであろう。また、くまの上半身を小狼にあげて自分は下半身を持っているというのも、哲学的に考察できそうだけど、私は哲学科じゃなくて美術学部なのでわかりません。
カードキャプターさくらもつまりはさくらの成長ストーリーであり、その中でさくらは幾度となく選択を迫られる。CLAMP作品という括りまで広げても、主人公の選択が大きな意味を持って描かれてる作品が多い印象だ。そのような意味からしても、二分割されたクッキーというのは、見逃すことのできない重要な場面だっただろうと思う。